【なぜ古典を読むのか ①】
明治人は若い時分に、
それ相応に国典や漢籍・仏書の類を読まされておった。
少くとも文字というものを叩きこまれた。
これは人間を作るのに実に良いことであった。
西洋でも同じことである。
ヨーロッパの高等学校では、
ラテン語やギリシャ語を文法からやかましく教えこむ。
この基礎があると、英語でも仏語でも独語でも何でも、
ものにし易いのだとよく言われるが、
そんな効能は枝葉末節のことで、言葉は霊である。
希臘・羅馬の文化を受けて育ったヨーロッパ人が、
ギリシャ・ラテン語をこなすということは、
文化の根本的生命をふきこまれることである。
後代文化は、偉大な先人が創造し、
或は継承した古代文化に、精神的根柢を下した、
有機的・歴史的成長発展でなければ真物ではない。