【教は效なり】
「道を修むる之を教と謂う」、
どうしても教というものが要る。
教という字は、単に口でおしえるばかりでなく、実践を伴う。
即ちお手本になる、人のならいのっとるところとなるという意味である。
だから「教は效(こう)なり」という注釈があるわけです。
教育とは、教師が生徒のお手本になって、
生徒を実践に導いてゆくことであって、
ただ言葉や文句で教えることではない。
言葉で教えるのは、訓とか、誡とかいうものであります。