安岡正篤一日一言 2018年08月10日(金曜日)

【老荘と孔孟】

 人生の教えには大きく考えると二つある。
 それは、なるべく天然自然の全き姿を続けさせたい。
 なるべく、軽るがるしく早く物になるまいという行き方と、
 成るべく早く物にしたい、
 成るべく早く立派な物にしようという行き方とです。
 老荘思想は成るべく早くつまらぬ物にはなるまいという行き方です。
 それに較べると孔孟の方、儒教の方は、
 成るべく早く立派な物にしようとする行き方です。
 私なんかはどっちかというと、儒教で育ったものですが、
 しかし多分に老荘の教えが浸み込んでいる。
 何か物になる、限定されることが嫌い、
 学問でも一宗一派の学問をすることが嫌いで、
 近頃のようなイズム――イストが嫌いです。
 思想ばかりじゃない、世の中に処しても、教育家になるとか、
 官吏になるとか、学者になるとか、銀行家になるとか、
 なんとかそういう何かになったら、
 もうそれでお終いのような気がして、到頭何にもならないで、
 或いはなれないのかもしれませんが、何やらわけが分らぬ
 ――しかし何かになるよりはましなような、
 正体の分らぬものになってしまった。
 私の雅号の瓠堂はその意味です。