安岡正篤一日一言 2018年02月12日(月曜日)

【なぜ古典を読むのか ①】

 明治人は若い時分に、
 それ相応に国典や漢籍・仏書の類を読まされておった。
 少くとも文字というものを叩きこまれた。
 これは人間を作るのに実に良いことであった。
 西洋でも同じことである。
 ヨーロッパの高等学校では、
 ラテン語やギリシャ語を文法からやかましく教えこむ。
 この基礎があると、英語でも仏語でも独語でも何でも、
 ものにし易いのだとよく言われるが、
 そんな効能は枝葉末節のことで、言葉は霊である。
 希臘・羅馬の文化を受けて育ったヨーロッパ人が、
 ギリシャ・ラテン語をこなすということは、
 文化の根本的生命をふきこまれることである。
 後代文化は、偉大な先人が創造し、
 或は継承した古代文化に、精神的根柢を下した、
 有機的・歴史的成長発展でなければ真物ではない。