安岡正篤一日一言 2019年01月16日(水曜日)

【姿】

 宮本武蔵が尾張藩の槍術指南役・田邊長常を訪うたことがある。
 たまたま玄関に出た長常は、
 武蔵を見て、これはみごと! と嘆じ、
 しばし凝然と見つめていたという(八代城山夜話)。
 もっともな、実に好い話である。

 戦前は時に、うむ! 出来ておるなと
 思わせられる人物に会うことがあった。
 その後、年を逐うて、
 そういう人物の風姿に接することが少くなった。
 この頃人間の姿態の頽廃は実にひどい。
 脊柱が曲って、顎を出し、
 腰がふらふらで、脚がひょろついている若者が多い。
 蹴とばしたら二片か三片に頽れてしまいそうだ。
 整形外科の専門医の話では、若い者にこの頃ぎっくり腰が多い。
 姿勢が悪いからだという。
 日本の政治も経済も教育も凡て姿勢が正しくない。
 従ってとかくふらついている。
 まず姿勢を正したいものだ。

松下幸之助翁のお話 1月16日 武士道と信頼感

昔、武士は庶民の上に置かれ、尊敬されていた。これは一つには、武士が武力を持っていたからとも考えられるが、それだけではない。やはり武士は道義に厚く、武士としての精神を忘れず、いわゆる武士道に徹することにより、庶民の信頼と尊敬をかち得ていたものと思う。

これは会社の中でも言える。経営者には経営者道、従業員にはいわば従業員道ともいうべきものがあると思う。それぞれ当然やるべきことがある。これをお互いに責任を持って貫いてゆくというところに、信頼関係の基礎があり、その信頼関係を高めてゆく推進力があるのではないだろうか。まずお互いの立場で、それぞれの道に徹したい。

舩井幸雄からあなたへ贈る言葉たち 2019年01月15日(火曜日)

世の中のものは、すべてつながっています。われわれは個であると同時に、全体の一部です。そして個の動きが、全体に影響します。

安岡正篤一日一言 2019年01月15日(火曜日)

【善 学】

 凡(おおよ)そ学は能(よ)く益すに非ざるなり。
 天性を達するなり。
 能く天の生ずる所を全(まった)くして
 之を貶(へん)することなき、
 是(これ)を善く学ぶと謂う

 これが、東洋本来の学というものに対する
 基本的な、本質的な考え方です。
 この場合の益は、ただのえきするという意味ではなくて、
 付け加える、増すという意味であります。
 学というものは、何か付け加えるというような
 方便的、手段的なものでは決してない。
 そもそも元来持っておる、
 生まれつき具(そな)えておるものを発達させるためのものである。
 天の生ずるところ、親の生んでくれたところを全くして、
 それをおとさない、いい加減なことにしない、
 というのが善学、善く学ぶと言うのである。

松下幸之助翁のお話 1月15日 青春とは心の若さ

“青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり、青春は永遠にその人のものである”

これは私があるヒントを得て座右の銘としてつくった言葉である。当然ながら、人はみな毎年歳をとってゆく。それはいわば自然の掟である。しかし私は、精神的には、何歳になろうとも青春時代と同じように日々新たな気持を持ち続けることができるはずだと思う。その精神面での若さを失いたくないというのが、かねてからの私の強い願いなのである。特に最近は、心は絶対に老いさせないということが、個人的にも、また周囲の環境からも要請されていることを強く感じている。

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