舩井幸雄からあなたへ贈る言葉たち 2019年02月18日(月曜日)

エゴがない方がいいと言っても、多少のエゴがなければ、今の時点では人間は生きていくことができません。しかし、たとえばお金儲けをするために他人をだましたりなどということであってはよくありません。それは、自分だって楽しめるはずがないと言えるのではないでしょうか。

安岡正篤一日一言 2019年02月18日(月曜日)

【理の実践を道という】

 この理に対して、道という場合にはどう違うかと言うと、
 道は文字通り人間が歩いて行くものであり、
 歩いて行くのに必要な筋道である。
 どこへ行くのにも、道に依(よ)らなければ、
 道を歩かなければ、行くことが出来ない。
 つまり道は実践というものと離れない。
 理は人間がその知性・知能で解する、理解するものであるが、
 それを実践するものは道であります。
 (中略)
 そこでこれを結んで道理と言うのであります。
 理は理であるが、人間が実践出来るもの、
 実践と一つになっておるものが道理である。

松下幸之助翁のお話 2月18日 日本式民主主義を

民主主義の基本理念というものは、まことに好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄をはかっていくことは、きわめて重要なことだと言えます。けれども、それは日本の伝統、国民性というものに立って行なわなくてはなりません。基本の理念は同じでも、具体的な形体は、それぞれの国民性にしたがって、さまざまでなくてはならない。いわば、アメリカにはアメリカ式民主主義、フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本みずからの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根なし草の民主主義に終わってしまうでしょう。

安岡正篤一日一言 2019年02月12日(火曜日)

【なぜ古典を読むのか ①】

 明治人は若い時分に、
 それ相応に国典や漢籍・仏書の類を読まされておった。
 少くとも文字というものを叩きこまれた。
 これは人間を作るのに実に良いことであった。
 西洋でも同じことである。
 ヨーロッパの高等学校では、
 ラテン語やギリシャ語を文法からやかましく教えこむ。
 この基礎があると、英語でも仏語でも独語でも何でも、
 ものにし易いのだとよく言われるが、
 そんな効能は枝葉末節のことで、言葉は霊である。
 希臘・羅馬の文化を受けて育ったヨーロッパ人が、
 ギリシャ・ラテン語をこなすということは、
 文化の根本的生命をふきこまれることである。
 後代文化は、偉大な先人が創造し、
 或は継承した古代文化に、精神的根柢を下した、
 有機的・歴史的成長発展でなければ真物ではない。

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